心のない時代
西洋芸術を勉強し始めた時に、今芸術家とされている人が、ただの技術者にすぎなかったという話を聞きます。レオナルドダヴィンチやミケランジェロも、自身の芸術表現をする訳ではなくて、依頼を受けたものを施主の希望に添えるように作品を創り上げたと。芸術は、時代によって変化し、現代アートのように自身が発信したいものを作品に残すという作業は、本当に最近の事のようです。
さて、心のない時代とは何かといいますと・・・、文字ができる前、出来てからも、実は「心」という漢字がなかったんだそうです。心という文字は、歴史を重ねる程、重要な存在となっていくんです。
うちの母がよく私に、祖母は人を殺すのは紙とペンがあればいいと言っていたと、よく聞かせます。
武器で殺すのではなく、言葉で人が殺せるという事を言っています。それは心に作用するという事ですね。
長い歴史から見ると、文字は神へ捧げるものだった時代もあり、一般庶民が文字を使えるようになるのは、割と最近になってからの事で、文字で記録できるようになり、人は身体的余裕ができ、心が備わったとか、、心ができてからは、心ブームというのか、現代社会まで心によって人は苦しむ事も多い気がします。
私にとって「心のない時代」という言葉が、全てから救ってくれ、何かが楽になりました。
今、芸術と呼ばれているものも、その時代の流行で、作者没後に有名になる作品も多く、人の価値観など、長い歴史からみたら、ほんの一瞬かもしれなくて、そこを生きていく私たちは、その流行の中で判断をしなければいけない。
でも、それは、ほんの一瞬、塵のような事。あなたにとって「心のない時代」は何ですか?
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