振動で伝わる何か

ちょっと宗教的な話になるのかもしれませんが,人間からは波長が出ているらしく,その波長はその人に戻ってくるという話を,私は信じています。

なので、人を攻撃するような気持ちの時は,その気持ちが自分に返ってくる,だからそんな気持ちにならないように,日々努力が必要だと思っています。

さて,前置きが長くなりましたが,私が今まで出会った人の中で,その人の声を聞くだけで涙が出てしまう人が2人います。

一人はシガーロスというバンドのヨンシーさん。

もう一人が,写真のちらしに写る安田登さんです。

人生の中でこの二人が喋りだすと,何故か涙が出ます。その人からの振動が,私の中で涙となって溢れ出してしまうんだと思います。振動でワイングラスが割れる現象を見た事があります。多分,安田先生の声にはこの現象を起こす何かがあるんだと思います。


では,何故安田先生に感動を覚えるのか?
そもそも25歳で辞書製作に関わるなど,教員としても過ごされた後に能楽師になられるのですが,
1,発する言葉が洗練されている事
2,聞き手に歩み寄ってくれるところ
3,現代社会の問題点について向き合っているところ
4,国語の知識以外にも海外の言語や哲学についての知識も豊富なところ
5,旅について語れるところ
ニコニコと笑いながら,私が悶々と悩んでいた事に希望が見える言葉を投げかけて下さいます。
もちろんその言葉は私だけに話している言葉ではありません。

私は能を見たことがありません。
けれど安田先生の解説を聞いた後は,能が見たくなります。
安田先生はワキといって、お面をつけない方の人です。
能といって思いつくシテというお面をつけている人の方が,どちらかというと主役に見えます。
シテは幽霊,この世にいない人の設定が多いそうです。ワキはある場所でこの幽霊に会うところで物語が展開していくんだそうです。
豊臣秀吉も能をたくさん創作したんだそうです。さぞ部下は退屈だっただろうという,そんな話もありました。
650年前から現代まで続く能には,奥深い魅力があるんですね。
今回の「寺子屋in図書館」は、論語のお話,孔子のお話でした。
安田先生の解説は本当に目からウロコで,教科書で習った時から分かった変わった事実も織り交ぜてくださるので,知識が更に深まります。
温故知新の「温」,四十にして惑わず「惑」,孔子の時代には無かった事。切磋琢磨の意味も私達が思っている意味と違う事。音や形でその頃使われていた漢字に直すと,孔子が本来意図していた意味が見えてきます。

今回の心に残るのは,四十にして惑わず→この頃の四十とは今の六十位なんだそうです。
そして惑わずとは「或」わず、なんだそうです。この時代での使われ方は,域,國,など領土を仕切る意味があり,自分の可能領域に線を自分で引くなという意味ではないかと。
腰が曲がっても,腰が曲がったからこそ出来る事がある。気づき続ける事の出来る自分であれ。そんな感じでしょうか。
長くなりましたが,これは安田先生のほんの一節,もっともっと興味深い内容をいつもお話して下さいます。
是非一度安田先生の話を誰にでも聞いて欲しい。できれば若い世代に。
大府の図書館が早く安田先生を呼んでくれるのを待っています。
先生がポロッと言った,古事記の話がしたかった,とーっても聞きたいです!



美術部ダークサイド

プラド美術館でゴヤの黒い世界に迷い込んでから、絵画が好きになりました。 王族の破廉恥なお話も大好物です。

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